吾輩は鳩である(前編) 杉江

 吾輩は鳩である。名が無かった頃は、結婚式場から鳩小屋へ飛ぶという仕事をしていた。衣食住に不自由はしていなかったので、公園で必死にあるんだかないんだかよくわからない餌をついばむ無宿者よりは恵まれているとは思っていたものの、来る日も来る日も、同じルートしか飛ぶ事が出来ないというのは、自由を求める我輩の性に合わなかった。

 ストレスがマックスになったある日、吾輩は脱走した。結果、決定的なまでに自由を失うのであった。

 脱走した我輩は、ピンク色の屋根があるベランダで羽を休めていた。いざ脱走はしたものの、無宿者となってしまった我が身を顧みて、暗澹たる気持ちになっていた。まぁ、いざとなったら、しれっと、鳩小屋に戻ればいいやと、呑気に考えていたのがいけなかったのだろう。背後から近寄る気配に気づけなかった。

 ガシィ!っという擬音が聞こえそうなほどギュウギュウに胴回りを押さえつけられ、気が遠くなる私の耳に届いたのは、「おかあさん!鳩、鳩、真っ白な鳩!」という、子供の声だった。

 文鳥用の小さな檻に閉じ込められた私をよそに、私を捉えた家族は家族会議なるものを開いていた。「ぴーちゃんみたいに可愛がるから」「式場からよく飛んでいく鳩じゃない? 放して上げたら?」「やだやだやだ!ぴーちゃんの生まれ変わりだ」「いいんじゃないの?」「おばーちゃん好き!」「式場に聞いてみようか」

 業者とのやり取りを経て、結局、私はこの家の虜囚となることが決まったようだった。虜囚となってしばらくは文鳥の餌ばかりを食べさせられた。さすがに辟易し、ハンガーストライキを行ったら、食事はひまわりの種やえんどう豆にかわり、鳩小屋とまでは行かなかったが、檻も大きなものに変わり、それなりに快適になった。不服の表明はしてみるものだ。

 自由は失ったものの、私の看守たる「くしゃみちゃん(10歳)」は、よく面倒を見てくれた。時折、檻の扉を開けては、部屋の中で飛び回る許可を与えてくれるのが楽しみだった。たまに、窓が空いていたことがあったので、脱走を試みたこともあるのだが、どれだけ家から離れてもくしゃみちゃんの号泣する声が聞こえてくるので、しぶしぶ家に戻るということを繰り返した。

 虜囚となって1年ほど経つと、くしゃみちゃんは、どこへ行っても私が家に戻ると安心しきったのか、ほうぼうへ連れていき、そこで放して家に帰るという遊びを始めた。最初はこのまま好きなところへ行ってしまおうと思うこともあったのだが、看守たるくしゃみちゃんの泣き声が聞こえるようで、決行する気にはなれなかった。それに、知らないルートを飛ぶのは悪くない。帰る家に向かってではあるが、自由に飛べるのだ。私はこの遊びをそれなりに楽しんだ。九州旅行に連れて行かれ、そこで放されたときはさすがに呪ったが。ガリガリに痩せて帰った私を見て反省したのか、それ以降100km以上の距離は放さないようになったが。

 虜囚となって3年目の春、私の檻のとなりに、鳩時計が置かれた。くしゃみちゃんの母御が説明するところに依ると、単身赴任の父御がこの鳩時計を鳴かせるのだそうだ。意味はわからぬが、それから時折、この鳩時計は突然鳴き、我輩を驚かせることが日常になった。

-つづく-


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HATO小説部

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