とりあえず男がドアを開けようとしたが、なかなか開かない。どうやら、倒れた女がドアに寄りかかっているらしい。とりあえず男が全体重をのせて、やっとの思いで開いた。
すると、さっきまで人生いろいろを歌っていた女が、まるで死んだかのようにドアにもたれて静かに横たわっている。とりあえず男は、とりあえず抱き起こそうと思うが、それすらも崩れ落ちていきそうで怖い。
でも、そんなこと言っている場合ではない。人一人の命がかかっているのだから…。
とりあえず男は、酒臭く横たわる哀れな女をとりあえず抱きかかえた。
すると、少し離れたところですすり泣いていた女の子が蚊の鳴くような声で囁いた。
「お、お母さんを助けて…。」
よく見ると、その女の子は一昨日“引越しの挨拶に”といって、今どき珍しくタオルを持ってお母さんと挨拶に来た2件隣りの小学3年生ぐらいの色白の女の子だった。
その声に、とりあえず男の眠っていた良心が久方ぶりに目覚めたらしく、
「救急車を呼ぼう!」
と言って、おいらのアプリの入っている携帯を取り出し、救急車を呼んだ。
よかった…、おいらは心の中で呟いた。ここでこの女を見捨てるような…というより、この幼気な少女を見捨てるような男だったら、おいらも嫌だ。こんな男に飼われ(買われ)ていたくはない。
そう、言い忘れたが、実はおいらの分身、心は“携帯”の中でも生きているのだ。だから、たとえOQTA HATO時計を持ち歩かなくても、とりあえず男がこの携帯を持ち歩く限り、おいらは何処にいてもとりあえず男の様子を見聞きすることができるのだ。
とりあえず男は、自分の腕に横たわる瀕死の酒臭い女をまじまじと眺めた。それは、一昨日娘を連れて挨拶に来たあの母親とはまるで別人の女だった。色白で顔立ちの整った女の化粧は崩れ落ち、今の人生を物語っているような精気を失った哀しい顔をしていた。
人生いろいろ~、男もいろいろ~、女だ~ってい~ろいろ・・・、
さっきまでこの女が陽気に歌っていたこの歌い文句が、何度も何度も頭の中でリフレインしていた。
と、ふと気が付くと、救急車がアパートの前に止まり、救急隊員が降りてきた。
「ご家族の方ですか?近くの白十字病院まで同行してもらえますか?」
その声に、とりあえず男は咄嗟にこう言ってしまった。
「いえ、家族ではありません。この女の子が家族です。」
すると、救急隊員は“このとりあえず男に用はない”といったふうに、とりあえず男の手からこの人生いろいろ女の身を剥がし、さっさと救急車に乗せた。
「お嬢ちゃん、さあ早く病院にお母さんを連れて行こう、大丈夫だからね。」
女の子は、裏切られたかのようにとりあえず男の顔を睨みつけ、救急隊員に連れられていそいそと救急車に乗った。
はあ…、とりあえず男は後味が悪くてならない。今まで生きてきて一番というくらい嫌な自分を見てしまった気がしていた。
おいらもかける言葉もなく、ただただ絶望していた。このとりあえず男、少しはいいやつだと思っていたおいらは、自分が馬鹿らしく思えてきた。なんだいやだな~、これからこいつと暮らすの…。
と思っていた矢先、体が勝手に動き始めた。無我夢中で、とりあえず男が慌てて自転車置き場に駆け寄り、猛スピードでそこいらへんに置いてある誰かの自転車を漕ぎ始めた。
おいらも、とりあえず男のズボンのポケットで揺られながら、落ちないようになんとか身を持ちこたえていた。
上り道を錆びた自転車が、カタカタと走る、走る・・・。
それはもう理性ではなく、自分のしてしまった罪に追いつくための行為であった。
HATO小説部
OQTA HATOの小説をみんなで書き、出版を目指す部活です。
0コメント